ナカムラ「はじめまして、新人看護師のみなさん! ワタクシ、婦長の中村恵(なかむらめぐみ)というザマス!」
ナカムラ「あなた方は本日より! この由緒正しき聖ヶ山病院で働くことになったザマス!」
ナカムラ「聖ヶ山の名を汚すことのないよう、看板を背負っているつもりで働くように!」
開院前のナースステーションに、婦長の声が響き渡る。
あのあと、わたしたちはここ聖ヶ山病院の規定制服である新品のナース服に着替え、ここに集合した。
しばらくして、このナカムラ婦長や先輩ナースさんたちも集まってくる。
今日は初めての出勤日。
いよいよ、わたしのナース生活1日目がスタートするのだ。
ナカムラ「いいザマスか!? そもそも看護というのは……」
絶叫に近いような声で説明を続けるナカムラ婦長。なんて熱意のある方なのだろう。
やはり、この名門・聖ヶ山病院で婦長という立場になるには、それだけのエネルギーが必要だということだろう。
佐奈「……すごい婦長さんだね」ヒソヒソ
隣に立っていた佐奈がコソコソ声で話しかけてくる。
佐奈「見て、あのメガネ。あんな三角なメガネなんてマンガでしか見たことないよ。実在するんだねえ」ヒソヒソ
凛「うん、なんだかいかにも『ザ・婦長』って感じがする」ヒソヒソ
佐奈「それよりもさあ、凛もひどいよね。アタシを置いていくなんて」
凛「あ、ご、ごめん。あのときはハルトのことで一生懸命だったから」
佐奈「あー、それね。うん、でも、たしかに仕方ないかもしれない」
佐奈「だって、ハルトが骨折しちゃったからその応急処置をしたんでしょ? 大勢のマスコミの目の前で」
凛「うん」
佐奈「すっご。ねえねえ、応急処置したってことは、ハルトを間近で見たり触ったりしたんだよね」
凛「うん、一応は」
佐奈「ええー、いいないいな。生ハルト、うらやましい!」
佐奈「やっぱカッコよかった?」
凛「…………」
凛「……うん、ヤバかった」
佐奈「おおお、やっぱりそうなんだあ」
凛「腕とか触ったけど……なんか超スベスベで良い匂いがした」
佐奈「うわあ、すごいすごい」
凛「あと、やっぱり声だね。声ステキすぎだった。なんか聞いているだけで――」
ナカムラ「ちょっとそこのふたり!!」
ナカムラ婦長の怒声が響いた。
ナカムラ「初日の! 最初の朝礼から! いきなり私語とは! 良い度胸ザマスね!」
ナカムラ「丁度いいザンス! 名を名乗るついでに、自己紹介をするザマース!!」
佐奈「はい! 青木佐奈です!」
すぐさま佐奈が、背筋をピンと伸ばして大きな声でハキハキと名乗った。
佐奈「わかば看護専門学校から来ました! よろしくお願いします!」
ナカムラ「ほう、青木さんザンスね」
ナカムラ「ときに、青木さん。あなた、ちょいとお化粧がハデじゃなくて?」
佐奈「そうですか?」
ナカムラ「そうザンス! あなたのお仕事は看護ザマス! ファッションショーのモデルじゃないザンスよ!」
佐奈「失礼しました。勤務初日なので、緊張と不安で、無意識に化粧に気合いが入ってしまったようです」
佐奈「明日からは気をつけます」
ナカムラ「ぐむっ……。そ、その通りザマスね。明日からはもっと考慮するように」
さすが佐奈だ。こういうピンチのときも堂々としている。
わたしも佐奈に続かなくちゃ。
凛「同じく、わかば看護専門学校出身、間宮凛です。看護科でした」
凛「よろしくお願いします」
ナカムラ「…………」
ナカムラ婦長が神妙な表情でわたしを見つめる。
ナカムラ「あなたが『間宮』さんザマスね」
凛「は、はい」
ナカムラ「今朝の玄関前の騒動の話は聞いたザマス」
凛「え……」
ナカムラ「なにやら、有名な歌手の応急処置をしたとか」
凛「あ、は、はい」
そうか、もうこの話題は広まっているのか。
ナカムラ「あとで話すつもりだったザマスが、ついでだから今伝えておきましょう」
ナカムラ「今朝の一件について、院長からあなたに直接お話しすることがあるそうザマス」
ナカムラ「この朝礼が終了したら、すぐに院長室に向かうように」
凛「えっ……」
ウソ、いきなり呼び出し……? これってきっとタダ事じゃないよね。
ナカムラ「院長のことはご存じザマスね?」
凛「は、はい、名前と簡単な経歴は伺っています」
凛「『聖ヶ山悠』院長、外科の先生ですよね」
凛「ここを設立した前院長の実の息子さんで、若くして年間手術数が100件を超える天才だとか……」
ナカムラ「そうザマス。先ほど、その歌手の腕を治療したのも、院長ザマス」
そ、そうなんだ……。
ナカムラ「くれぐれも、失礼のないように気を付けるザマスよ」
話はこれで終わりということを告げる合図のように、ナカムラ婦長がわたしから離れる。
ナカムラ婦長の視線から解放された後も、わたしの頭の中は先ほど知らされた呼び出しのことばかりだった。
どうしよう、何を言われるのかな。
朝礼を続けるナカムラ婦長の声を遠くに聞きながら、わたしは思いを巡らせていた。
聖ヶ山病院の長い廊下の一番奥。
あまり人通りがないこの場所に、院長室はある。
『コンコン』
遠慮がちに扉をノックする。
???「入りたまえ」
院長室の中から、くぐもった声が聞こえた。
凛「……失礼します」
ブラックイン
院長室の中には、本棚と応接机、そして重量感のある大きな椅子が置かれていた。
装飾品などの類のものはない。無駄のない、洗練された部屋のように思えた。
そして、その椅子に座っている男性。
???「初めまして、間宮凛くん」
悠「私が、院長の聖ヶ山悠(ひじりがやま ゆう)です」
えっ……この人が、院長?
返事をするのも忘れて驚いてしまう。
若い、とても若い男性だった。
ほとんどわたしと年齢は変わらないだろう。
『院長』っていうくらいだから、てっきりオジサンだとばかり思っていたのに……。
でも、無機質なメガネの輝きの奥に見える、理知的な瞳は、まるで。
そう、まるで黒曜石のような光をたたえていた。
この人が、『天才』と言われる院長なのだ。
若くしてこの病院の院長になり、外科手術の実績は国内でも有数。
そんなスゴい人が、こんなに若くて……こんなに……。
……こんなにカッコいい人だなんて。
悠「…………」
悠「……とんでもない事をしてくれましたね」
わたしが黙っていると、重々しい響きがセンセイの口から漏れた。
凛「えっ……」
悠「とんでもない事をしてくれましたね、と言ったのですよ。間宮くん」
凛「と、とんでもない事というのは……」
悠「今朝の騒動の件です」
悠「……まったく、とんでもない。とんでもない失態ですよ」
『失態』という単語が重くわたしの肩にのしかかる。
大きな鉛のカタマリが、耳の穴を押し広げながら入ってくるような戦慄があった。
悠「貴方は今日から看護師として勤務を開始する予定でした。しかし、それは出勤して朝礼が始まってからのことです」
悠「通勤途中だった、今朝の騒動の時点では、まだ貴方はただの一般人」
悠「ただの一般人が治療行為を行ったというのがもしマスコミに知られでもしたら、大変な批判を受けるでしょうね」
悠「今回は応急処置が適切だったから良かったものを、例えば処置を間違えていたとしたら……」
悠「ハルト氏の症状を悪化させるだけでなく、この病院の管理体制も問題視される結果を招いていたでしょう」
「……っ!」
わたしは唇を噛んだ。
確かに、センセイの言う通りだ。
わたしはあの時、あの行動こそが最善だと思っていた。
けど、それはあくまで結果的に事態が良い方向に進んだというだけ。
一歩間違えれば、むしろ悪い結果を招いたのかもしれない。
悠「……貴方の行ったことの意味が理解できましたか」
凛「……はい」
悠「どうやら、貴方は素行に多少の問題があるようですね」
凛「…………」
悠「間宮くん、指導官制度というものについて説明しましょう」
凛「え?」
話題が大きく離れる。
思考がついていけなくて間抜けな声を出してしまった。
悠「この病院では、新人看護師が入ってきたとき、マンツーマンで医師を指導官として割り当てることになっています」
悠「もちろん貴方にも、研修生として医師のパートナーになっていただきます」
凛「お医者さんの……パートナーに」
悠「その通りです」
悠「貴方はどうやら問題児のようだ。パートナーの医師にかなり厳しい指導をしてもらう必要がありますね」
悠「こうしましょう」
センセイは不敵な笑みを浮かべながら、言い放つ。
悠「貴方の指導官は、この私。聖ヶ山悠がじきじきに引き受けます」
悠「これから研修期間中、貴方は常に私のそばで、この病院で働くということについて学んでください」
悠「最初に言っておきますが、私はかなり厳しいです」
悠「指導は苦しいものになるかもしれませんが、覚悟を決めておいてください」
凛「…………」
凛「……は」
わたしは、こう答えるしかなかった。
凛「……はい。よ、よろしくお願いします」
悠「うむ」
センセイは満足そうに相づちを打って、椅子から立ち上がった。
そのままわたしのそばを通り過ぎようかというとき。
悠「私がハルト氏の治療を行ったというのは聞いていますね」
凛「は、はい」
悠「貴方の応急処置も見させていただきましたよ」
悠「……症状の把握とそれに対する知識、設備が限られた状況での判断……。どれも新人とは思えない見事な処置でした」
凛「えっ」
センセイはわたしの肩に手を置いた。
悠「間宮くん、研修期間中は私のそばにずっといなさい」
悠「……貴方は叩けば叩くほど、伸びるような気がします」
悠「私の期待を裏切らないで下さいよ」
そう言って、センセイは院長室を出ていった。
一人取り残されたわたしは、センセイの真意をはかりかねていた。